もう11年も前のことです。ランチとディナーの営業の合間、仕込み中のサンルスーにひょっこりと見知ったお顔。忘れもしません、「小ざさ」の最中の菓子折を携えて、1組のご夫婦が挨拶に来てくれました。
「近くでイタリア料理のお店を開きます。よろしくお願いします!」
ご主人とお会いするのは2度目でしたが、奥様はご両親と3人でよく食事に来てくださっていたお客様。奥様がご主人をご両親に紹介する顔合わせの現場もサンルスーでした。
その時私は「あんなに素敵なご両親に大切にされて、幸せな家庭に育ったこの人が、こんなにキツい世界に入るのか……」と正直、喜べませんでした。
その頃の私といえば、自らの仕事がキツくて辛くて、自分の時間と睡眠時間が欲しくてたまらず、まるで自分が雑巾のように感じていました。いただいた最中を食べながら、どうにもかわいそうな気持ちになって仕方がありませんでした。
お店の名前は「trattoria 29(トラットリア・ヴェンチノーヴェ)」、肉料理に特化したトラットリアです。線路を挟んだ、サンルスーのちょうど裏側がお店の場所。よって我々は「裏の29(にく)」と呼ぶようになりました。
さて、2011年2月9日、いよいよお店がオープンし、「29」はたちまち話題のお店に! いろんなところから「29」を目指してお客様がいらっしゃる人気店になりました。
我々が何より感心したのは、彼らが実に軽やかに飄々とお店をやっていて、何かとてもホッとする雰囲気があること。「あの2人の持つ雰囲気、すごくいいね。それにひきかえ私たち、何か重くない?」と、大いに自分たちを反省したものです。
私の心配なんて大きなお世話、全くの杞憂で、逆に「食べ物屋のあるべき姿」を、彼らからたくさん学ばせてもらいました。
定休日が同じなので、お互いお客になることはなかなか叶いませんでしたが、休みの日や帰り際にたまたま出くわした時などに一緒にゴハンを食べながら、同業でなければわからない悩みなどをお互い聞いてもらって「あぁ、29も頑張ってるから、私たちも頑張らなくっちゃ」といつも癒され、元気をもらっていました。
イタリア料理とフランス料理、似て非なるもので、ジャンルもそして年代も違うけれど、いつもお互いをリスペクトしてきました(……と、勝手に我々は思っています)。こういう仲間がいるって、本当にありがたいことです。
そんな「29」が、ある時、お店の入っている建物の建て替えのため、立ち退きを余儀なくされることになりました。
この先、西荻窪で新たな店舗を探すのか、はたまた全く別の場所に変えてしまうのかと2人が悩んでいたところ、一緒にゴハンを食べながら「物件は俺が探す! だから西荻でやれよ!」とデカいことを言い出すシェフ金子。
「ねぇ、あんたいつから不動産屋になったの?」と言うと「俺は昔から、住むところも店もなんかツイてるんだよ」と、またあてにならないことを自信満々に言っています。「西荻で一緒にやってる」という気持ちがとても強かったので、我々としてはやっぱり、西荻窪でやって欲しかったのです。
その後、2020年3月、我々の盟友、「29」は店を明け渡し、そして世の中はコロナ禍に突入することになりました。
深夜、仕事が終わってから、もういなくなってしまった「29」を見に行って、得体の知れないコロナというものに対する不安とともに、なんとも言えない寂しい気持ちになったこと、忘れられません。(次回に続く)
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