営業再開に向けて、いろいろ仕込みが始まると「あ、今○○○作ってるんだ」と厨房の外にいて知るのは、意外にもその匂いからです。
「匂いがしないと、ステーキなんてゴムみたい」と、コロナに感染して嗅覚障害が残ってしまった人が言っているのをテレビで観ました。「味はともかく、匂いってそんなに大切かな?」と思ったのですが、サンルスーの料理人たちに言わせると、「料理人にとって、味覚と嗅覚は、同じように本当に大事」とのこと。料理がきちんとできているかどうか、味見をする前に匂いでわかるのだそう。
オフの日にレストランなどに食事に行き、私がものすごくおもしろい話(!)をしているのに、なんだか連れの反応が悪い。会話の途中「あの隣の席の人が食べてる料理、すごくいい匂いがして旨そうだな」と完全にトンチンカンな受け答えで、私の逆鱗に触れるのは毎度のこと。シェフ金子、匂いにはかなり敏感です。
以前、普段風邪をひかないスーシェフ香田が、珍しく風邪をひいて匂いがわからなくなり、何か作るたびにシェフ金子に味見をしてもらっていたのを見たことがあります。そういう私も、めったにひかない風邪をひいたあるとき、匂いがわからず、お客様のご注文のワインを試飲した際に、ブショネ(劣化したワイン)を見抜けなかった苦い経験がありました。
匂いがするって大事なことなのですね。なるほどそう意識してみると、メニューがまだ厨房から出てきていないのに「今、グレック(野菜のギリシャふうマリネ)を仕込んでいるな」とか、「肉のテリーヌの火入れが終わったな」など、漂ってくるその匂いで、何を作っているのかわかります。
私は「牛ホホ肉の赤ワイン煮」の、一晩ワインでマリネした後の牛ホホ肉を焼いている時の匂いが大好きです。それから、にんにくのみじん切りをじっくりとバターで炒めて、焦がす寸前にレモンをジュッと絞った瞬間の、いわゆるプロヴァンスふうソースのあの何とも言えない香り! できれば仕事なんてしないで、そのまま客になって白ワインとともに味わいたい衝動に駆られます。
そこで厨房組にも、好きな匂いを聞いてみました。
シェフ金子「肉をにんにくやタイムと一緒にローストしていて、それをアロゼ(肉に油をふりかけて焼く調理法)した時の香り。それからベックオフができ上がった時のふわっと広がる白ワインの香り」
スーシェフ香田「フィナンシェなどの焼き菓子が焼き上がって、それをオーブンから出した時のバターの香り。フォン・ド・ヴォーを長時間、火にかけて仕込んでいる時の匂い。パンが発酵している時の匂いも好きですね」
なるほど、それぞれ説得力のある意見です。パンといえば、パンが焼き上がった時のあの香ばしい香りと、一斉に聞こえるパリパリとした音。毎日のことながら、そのたびに感動します。
反面、苦手な匂いもあります。私がどうしても苦手なのは、トリップ(牛の胃袋)を、下ごしらえでゆがいているときのあの匂い。その日が運悪く二日酔いだったりしたら、もう最悪です。スーシェフ香田に言わせると「歯周病が束になって襲ってきた感じ」。「あの匂い、好きな人はそういないよ」とシェフ金子。それくらい、キョーレツな匂いです。
厨房から漂ってくるいろいろな「いい匂い」。仕込み中のものが案外多くて、これをお客様に体験していただくことができないのは、なんだか残念で申し訳ない気持ちになってしまうのです。
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